前学長 |
私は、昭和51年に旭川キャンパスに助手として採用になり39年間、北海道教育大学一筋に勤務してまいりました。
49歳の時に、旭川校の分校主事(当時)に任命され、それからは管理職のような仕事を務め、平成16年からは3年半、理事を、平成19年から8年間学長を、務めさせていただきました。自分があまり優秀でない人間だということは私自身がよく知っておりますので、みなさん方には本当にいろいろとご迷惑をおかけしたと思っております。
学生諸君がご承知のように非常に優秀ですので、学生諸君に随分助けられてきましたし、教員の方々は本当に懸命になって学生教育に邁進していただき、職員の方々は陰になり日向になり、支えていただきました。本当に温かい方ばかりで、心から御礼を申し上げます。
この日を迎え、もう少し具体的に自分が何をしてきたのか、明らかになっているのではないかと思っておりましたが、今は茫々とした感じで、自分が何を、どの様にやってきたのか、あまり明確なイメージが湧きませんが、評価はずっと後で、何らかの形で下されるのだろうと思っています。
私は学長になってから、「無私」ということを座右の銘にしてまいりました。無私というのは、私心を無くするということで、そうすれば北海道教育大学に向けて、全力を尽くせるのではないだろうか、あるいは北海道教育大学のために己を捨てて、侃侃諤諤の議論をして、大学を前に進めていけるのではないだろうかと愚考し、藤根凱風先生に揮毫していただいた「無私」を、いつも学長室に掲げて仕事をしてまいりました。
さて「変わりつづけるものだけが生き残ることができる」という、有名な言葉がございます。日本の大学はまだわずか100年くらいしか経っておりません。私は若い時に、在外研究でドイツに派遣していただいておりましたが、ヨーロッパの大学は何百年もの歴史がありますが、多くの大学が何度も倒れては、立ち上がってきています。ご承知のように1980年代にアメリカの大学の大危機があり、その時から私は日本の大学にも、必ずそういう辛い危機を迎える時が来る、と確信していました。今がその時なのかどうかは分かりませんが、日本の大学が初めて迎える危機の時であるのは間違いありません。それを切り抜けていくためには、辛くとも大学改革をし続ける以外にないと思います。今後も、日本の大学はさらに大きな危機を迎え、非常に厳しい試練をくぐり抜けていかなければならないであろうと思っております。
これからは、蛇穴新学長を中心に、懸命に改革をし続けていっていただきたいと思います。決して休むことができない、過酷な仕事であろうと思いますが、教職員、学生のみなさん方が心を一つにして、本当の意味で北海道になくてはならない大学であると地域のみなさま方、あるいは将来的には世界のみなさま方から高い評価を得られる大学に、一日も早くなっていただきたいと願っております。皆さん方が全力で改革を進め、是非立派な大学として永遠に生き残っていただきたいと、心からお願いいたします。
みなさま方が今後とも、健やかに北海道教育大学で活躍されることを、心から祈念いたしまして、私のお別れの言葉といたします。8年間、本当にありがとうございました。