ブックタイトル教育大学園情報誌31号
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教育大学園情報誌31号
8時代に合わせて変化し続けてきた我が岩見沢校舎の歴史を探るwamizawaCAMPUS I岩見沢キャンパス 岩見沢キャンパスには平成二十六年に第三体育館、平成二十七年には地域文化活動棟という新校舎が建設されました。新校舎があった場所には昔、何があったのか? 旧木造校舎跡という看板があるがどのような施設であったのか? といった疑問を調査し、新校舎が建設される以前の様子を知る方のお話も交え、地域文化活動棟と第三体育館の施設の様子など、昔と現在を比較しつつ、施設の歴史の変遷を紐解きました。にメッセージをお願いしました。「自分たちの夢を、専門分野を生かして叶え、活躍してほしい。そして、空知に恩返ししてほしい」というお言葉をいただきました。 今回のインタビューで、私たちの知らない年代の岩見沢校のお話を聞かせていただきました。砂川さんが在籍していた時期も取り上げながら、昔と今の岩見沢校について比較してみました。 昔の北海道教育大学岩見沢校について知りたいということで、本学OBで、現在岩見沢南小学校の校長をされている砂川昌之さんにインタビューを行いました。砂川さんは現在、空知校長会の会長もされています。三階建ての美術・音楽・実験棟が建設されたときに入学し、昭和五十九年に卒業されました。当時、新築されたばかりの建物がとてもきれいだったことが印象に残っているそうです。また、サークル棟として利用されていた木造校舎もあったそうです。 当時の岩見沢校の学生は、半数が教員を志望しており、教員免許を取得しないと卒業できなかったそうです。現在は入学してから将来を考える人も多いでしょうが、当時は教員養成系の大学ということもあり、入学時点で教員になると自覚していた人が多かったそうです。今は、教員養成系の大学から、芸術とスポーツに特化した大学になりました。そのことについては、形を変えてでも岩見沢校として残ってくれたことがうれしいとおっしゃっていました。また、専門分野に特化することにより、プロフェッショナルが育成され、その活躍に期待しているそうです。 最後に、岩見沢校の学生砂川さんへのインタビューの様子岩見沢校OBの方にインタビュー01