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概要

教育大学園情報誌31号

10キャンパス長と地域の方が振り返る札幌校の平成apporoCAMPUS S札幌キャンパス 北海道教育大学札幌校は一九八七(昭和六十二)年四月、札幌市中央区南二十二条から札幌市北区あいの里へ移転しました。そこから現在まで札幌校はあいの里と共に平成の時代を歩んできました。そこで今回は札幌校に長く勤続されている札幌校キャンパス長の並川寛司先生と、あいの里にお店を構える「手風琴」の吉田裕男さん・吉田玲子さんの三名にお話を聞くことで、学生が知らなかった移転当初のあいの里の様子・札幌校の歴史・あいの里とのつながりを振り返り、これまでの札幌校の変化を知り、札幌校のこれからについても考えようと思います。※並…並川キャンパス長、裕…吉田裕男さん、玲…吉田玲子さん、藤…インタビュアー希望が大きく膨らんでいましたね。並 僕は大学に赴任して一年旧校舎に居て、移転してくる準備をして翌年こっちに来たのですが、地域の方が期待されているとか何も知らずにどう移転するのかに追われていたので、将来のことだとかを考える余裕は正直ありませんでした。移転前の二月に新しい校舎に大学のバスで来たら天気が悪くて両側が雪の壁みたいになっていたので、びっくりして学生や自分自身がこれからちゃんと通えるのか心配でした。ただ四月に入ると春ですから交通障害もなく普通に過ごしていましたけれど冬になるにつれて心配でした。学校が閉鎖になるような大きなことはなりませんでしたがとても印象的でした。藤 最初にあいの里に移転したときの印象を教えてください。裕 期待・希望・不安がありました。学園通りを中心としながら学園都市をつくって、やがて教育大学を中心としながらあいの里が充実するのではと期待を持っていました。希望としては当時いろんな街づくりについて言ったけれど、やがては学生さんたちが溢れる街になり若い力が街づくりの中で活躍してくれるのではないかと思いました。不安は、あいの里は娯楽などに制約があり、みだりに建物を建てられない状態だったので学生さん達が街に来て大丈夫かが心配でした。初めの頃はよく親御さんが学生さんを連れて相談に来ていたので家賃や家の数とかも不安でした。でも期待と移転当初の印象01上/学生との思い出を話す吉田裕男さん下/移転時の印象を話す並川寛司キャンパス長左から並川寛司キャンパス長、吉田玲子さん、吉田裕男さん