清 野 き み(きよの きみ)氏
(享年93歳)
本学名誉教授、元函館分校教授 清野 きみ 氏は令和元年10月19日に逝去されました。
同氏は、昭和2年9月10日青森県に生まれ、昭和23年3月東京女子高等師範学校家事科を卒業し、同年同月北海道第二師範学校勤務を命ぜられました。昭和26年3月北海道学芸大学助手函館分校に配置換となり、昭和34年10月北海道学芸大学助教授函館分校に昇任し、昭和44年10月北海道教育大学教授函館分校に昇任されました。昭和62年4月埼玉大学教育学部教授に転任されましたが、平成4年4月、長年にわたる教育及び学術上の多大な功績に対し、北海道教育大学名誉教授の称号が授与されました。
この間、同氏は家政学及び家庭科教育学の分野において、多数の論文を発表し、それらを通して小・中・高等学校の家庭科や更には大学教育における指導内容に言及されました。それらの成果は家庭科カリキュラムの開発や家庭科教育構想の基盤として家庭経営学や家庭科教育の発展に大きく寄与されました。
同氏の教育者・研究者としての業績並びに大学の運営に尽力した功績に対し、平成20年4月29日に瑞宝中綬章を授与されました。
ここに、故人を偲び哀悼の意を表します。
高 木 冨士男(たかぎ ふじお)氏
(享年88歳)
元旭川分校教授 高木 冨士男 氏は令和元年12月3日に逝去されました。
同氏は、昭和3年7月19日北海道に生まれ、昭和22年3月夕張工業学校を修了後、同年4月北海道大学予科に入学、昭和25年4月北海道大学工学部機械工学科に進学し、昭和28年3月同大学工学部機械工学科を卒業されました。昭和28年4月、夕張工業高等学校(昭和28年9月北海道夕張工業高等学校と改名)教諭として採用された後、北海道夕張北高等学校教諭を経て、昭和38年4月文部教官北海道学芸大学旭川分校講師として採用されました。昭和41年4月北海道教育大学教育学部旭川分校助教授に昇任し、昭和56年10月同教授に昇任された後、平成4年3月停年により退職されました。
この間、同氏は研究面においては陸用ボイラの熱勘定の研究に力を注ぎ、教育面においては「機械」分野の専門家として特に中学校技術科教員の養成に関して、自らの高校教職経験を生かし、単に教科専門的な指導に留まらない実践的な指導を行いました。授業における安全への対策・配慮といった点にも注力し、中学校技術科教員を中心とした優れた人材の育成に努め、教育界の充実・発展、地域社会の向上にも貢献されました。
また、大学運営においても、旭川分校技術科講座の礎づくりに力を注ぎ、その後も旭川分校の運営に各種委員会委員として尽力するなど、北海道教育大学の発展に大きく寄与されました。
以上のように同氏は、長年にわたり学生の教授・指導に努め、優秀な人材を多数育成するとともに、研究者として優れた業績を挙げ数学教育の向上に寄与し、本学の発展に貢献され、これらの功績により令和元年12月3日に瑞宝小綬章を授与されました。
ここに、故人を偲び哀悼の意を表します。
延 原 哲 郎(のぶはら てつろう)氏
(享年92歳)
本学名誉教授、元岩見沢分校教授 延原 哲郎 氏は令和元年12月15日に逝去されました。
同氏は、昭和2年1月3日北海道に生まれ、昭和22年4月北海道大学理学部数学科に入学、昭和25年3月卒業後、同年同月北海道札幌女子高等学校教員に採用されましたが、更に学問研究を志し、昭和26年4月北海道大学大学院に入学し、昭和30年3月、同大学大学院を修了しました。同年4月北海道大学理学部助手に採用された後、昭和31年4月北海道学芸大学助教授として岩見沢分校に着任、昭和46年10月北海道教育大学教授に昇任されました。平成2年3月停年により退職し、平成2年4月、長年にわたる教育及び学術上の多大な功績に対し、北海道教育大学名誉教授の称号が授与されました。
この間、同氏は数学科の教官として、独自の数学観とこれに基づく教育観により学生の指導・教育に専念し、多くのすぐれた人材を教育界に送り出すとともに、大学の管理運営面でも数々の重責を果たし、本学の発展に多大な貢献をされました。
ここに、故人を偲び哀悼の意を表します。