Ⅰ 人間は変わった動物である
1 人間は分業する動物である
「社会性昆虫」と呼ばれる昆虫がいる。例えばミツバチの場合、女王蜂がいて、働き蜂がいて、といった具合である。それぞれの蜂には役割があり、女王蜂は卵を産み続け、働き蜂は、餌を捕り、卵の世話をずっと続ける。つまり、ミツバチは、みんなが同じことをしているわけではなく、分業を行っているのである。 このような動物の分業と比べて、人間はより広範囲に分業を行っている。このことは、スーパーマーケットに行けばすぐにわかる。野菜売り場に行くと、中国産のニンニクやアメリカ産のグレープフルーツをすぐに見つけることができる。魚売り場では、ロシア産のタラバガニやノルウェー産のサバ、肉売り場にはオーストラリア産の牛肉… まさに世界中から商品が集まっている。誰が獲ったのか、誰が育てたのかは、ほとんどわからない。実は、ここが重要なポイントである。 ミツバチの場合、役割の分担はあるが、それは、同じ巣の中にいるミツバチに限られる。そして、同じ巣の中にいるミツバチは、全員が血縁関係にある。人間に例えるならば、家族の中で、父親が大工仕事をし、母親が料理を作り、子どもが風呂掃除をする、それと同じなのである。しかし、人間は家族という範囲をはるかに超え、血縁関係という範囲も、共同体という範囲も、いや、国という範囲さえ超えて、分業しているのである。これほど広範囲に分業している動物は、他にはいない。 さて、今日、あなたは、どこで作られたものを食べたのだろうか。
2 人間は長生きする動物である
2008年の日本の平均寿命は、女性86.05歳、男性79.29歳で、女性は世界第1位、男性も世界第2位である。ちなみに、国連の発表では、最下位の196位はアフガニスタン、その上には、アフリカ諸国が並んでいる。つまり、医療の発達や生活環境の改善が、平均寿命と大きく関わっている。そのことは、日本の平均寿命が、戦後ほぼ一貫して延びてきたことからもわかる。 ところで、人間の平均寿命を他の動物と比較するとどうだろうか。動物の寿命を測るのはなかなか難しいが、人間は、他の哺乳類と比べて長生きである。『生物学データ大百科事典』(朝倉書店)に掲載されている哺乳類のうち、飼育下で最も長生きしたのはアジアゾウの67年。先ほど挙げた日本人の平均寿命より短い。 ここで、もう1つ考えなければならないことがある。それは、「人間は役割が終わっても生きている」ということだ。たとえば、人間の女性の場合、出産可能年齢はだいたい50歳までである。2008年の平均寿命まで女性が生きたとすると、30年以上も、生物にとって使命とも言える繁殖行動に関わらないで生きていくことになる。これは、他の動物にはまったく見られないことなのだ。1 そうすると、人間にとって大事なのは、「生産できない時期に、どうやって生きていくか」ということになる。もちろん、子どもの時期にも、人間は生産することはできない。その時期には、親が面倒を見てくれることになる。これは、他の多くの動物にも見られることだ。例えば哺乳類は、生まれたばかりの子どもに授乳することで、子どもを育てる。期間の長短はあるにせよ、ここまでのところで大きな違いはない。 だが、いわゆる老後についての生活は、どうすればいいのだろうか。他の動物は、もともと老後というものがほとんど存在しない。それは、「食料を獲得できない=死」を意味するからである。しかし、人間の場合には、そうではない。生産できなくなっても、生きていくことができるのだ。そのための方法が、「家族が生活を支える」ことである。例えば、途上国では多産傾向が顕著であるが、その1つの理由は、自分の老後の保障のためだと言われている。 ただ、子どもができなかった場合には、別の手段が必要になる。それが「貯蓄」である。「貯蓄」とは何か。それは、自分が生産したものの一部を保存しておくことである。このようにすれば、たとえ生産できなくなっても、人間は生きていくことができる。 さて、そのようなおばあちゃんは、人間の世界でどのような役割を果たしているのだろうか。
Ⅱ 貨幣と金融の役割
1 貨幣とは何か
ある海岸に、毎日、イワシを獲って食べていた漁師がいた。しかし、毎日イワシだけを食べるのは飽きる。それで、時にはイワシ以外の魚介類も獲っていたのだが、それでも飽きてしまう。 「米ば食いたかぁ…」 男は、つぶやいた。そこで、自分が獲ったイワシを持って、歩いて半日ほどかかる農村に出かけていった。 「すんませんが、このイワシば、あんたんとこの米と交換してもらえんじゃろうか?」 農村のある農家に行って、男はこのように頼んだ。すると、 「よかですよ。こん米ば、持っていかんね。」 農家の主人は、気前よくイワシと米の交換に応じた。ここに来ればいつでも米が手に入る。男はそう思って、自分の家に帰っていった。
数日後、男のいる海岸では、イワシが大漁だった。こんなにイワシがあっても、1人で食べることなどできない。そうだ、またあの農家に行って、米と交換しよう。男はそう考え、大量のイワシを持って、農家に出かけていった。 農家に着くと、主人にこう言った。 「また、イワシば、米と交換してくれんかね? 今度は、前の倍のイワシばい。」 また米が食べられる、と、男はワクワクして、主人の返事を待った。ところが、主人は、申し訳なさそうな顔をしている。 「どけんしたとね?」 男は主人に聞いた。主人は、ようやく重い口を開いた。 「すまんけど、今日は、米はやれんとたい。」 男は驚いた。 「なして? なしてね?」 男は、半ば責めるように、主人に詰め寄った。 「こないだ、米と交換してイワシば、たくさんもろうたろうが。その夕飯は、もちろんイワシやった。ワシは、イワシが大好物やけん、喜んで食ったとよ。ばってん、イワシを初めて見た子どもたちは、匂いをかいだだけで、『うわっ、魚臭か!』って言うて、食べようとせんかったと。それでくさ、『父ちゃん、今度は肉が食いたかぁ』って言われたったい。ワシは交換してやりたかばってん、子どもたちにそげんかふうに言われるとなぁ…」 その話を聞いた男は、ガッカリして、大量のイワシを家に持って帰った。
そのころ、隣町では、肉屋のおやじが、こうつぶやいた。 「魚ば食いたかぁ…」
残念ながら、漁師のおやじは、米を手に入れることに失敗したようである。だが、よく考えてみれば、おやじは米を手に入れることができる。最初に、肉屋にイワシを持っていって肉と交換し、その肉を農家に持っていって米と交換すればいいのである。しかし、肉屋がイワシをほしがっていることを知らなかったので、そうすることはできなかった。 先ほど、「人間は分業する動物である」と書いた。分業するということは、交換が絶対条件である。だが、おやじのように、交換することで、自分がほしいものが必ず手に入るとは限らない。なぜなら、作っているものとほしいものがお互いに完全に合致しない限り、交換に応じてはくれないからである。もちろん、説明したように、肉を間に置くことによって、おやじがほしい米を手に入れることはできる。しかし、その場合には、誰が何をほしがっているのか、すべてを知っていないといけない。それは事実上不可能であり、たとえ可能だったとしても、自分がほしいものを手に入れるためにどのくらい迂回すればいいのか。おそらく途方もない数字になるだろう。 それにもかかわらず、人間は分業を行っている。現代社会において、自給自足生活はほぼ100%ありえない。どうやって、交換の難しさを克服したのか。それは、「貨幣」の発明である。交換における貨幣の役割を、漁師のおやじを例に説明しよう。おやじは、たくさん獲ったイワシを市場に持っていき、イワシがほしい人にそれを売る。「売る」という行為は、イワシと交換に貨幣を受け取ることである。そして、そうやって手に入れた貨幣で、今度は米を買う。「買う」という行為は、米と交換に貨幣を手放すことである。こうすることで、結果として、イワシと米を交換することができる。農家や肉屋も同じような「売る」と「買う」を通して、それぞれ肉やイワシを手に入れることができるのである。 このことから、貨幣の第一の役割が明らかになる。それは、「交換の媒介」である。イワシと米の間に貨幣が入ることによって、スムーズに交換ができるようになる。そしてそのことは、人間の分業に不可欠なものなのだ。 次に、貨幣の第二の役割に移ろう。1000円、100ドル、50元… 貨幣には数字がついている。これは、現代に限ったことではなく、例えば、江戸時代には両、貫、文などの貨幣単位があった。貨幣に数字が必要な理由は、「価値の尺度」としての役割があるからである。再び、漁師のおやじの例を使うならば、米とイワシを交換するといっても、どのような比率で交換すればいいのか、というのは大きな問題である。おやじは、できるだけ多くの米を手に入れたいだろうし、農家の主人も、できるだけイワシをたくさん手に入れたいと思うはずである。このとき、イワシ1匹=100円、米1kg=500円、というように、貨幣でそれぞれの商品の価値が表してあれば、イワシ5匹=米1kgとすぐにわかるはずである。これで、交換がよりスムーズに進むことになる。 貨幣には、もう1つの役割がある。それは、「価値の保蔵」である。この役割は、第一と第二の役割から派生してきたと言えるかもしれないが、特に大事なのは、「貨幣は貨幣だから価値がある」という点である。2 この点について、みたび、おやじに登場してもらって、詳しく説明しよう。おやじがイワシを売ったのがイギリス人で、イワシと交換にイギリスの通貨ポンドを手に入れたとする。このポンドを持っていき、米を買おうとした。だが、農家の主人は、ポンドを見るのは初めてだった。そのため、価値があるものとは思わず、ポンドと米の交換を拒否してしまった。こうなると、交換はストップしてしまう。交換が成り立つためには、農家の主人が肉を手に入れるために肉屋に渡すだけの価値があると、農家の主人が思わなければならない。そして、主人にそう思わせるのは、肉屋がイワシを手に入れるために漁師に渡すだけの価値があると、肉屋が思わなければならない。つまり、みんなが貨幣と思わなければ、それは貨幣にはならないのである。このことは、まだ貨幣の価値がわからない乳児に紙幣を渡しても、単なる紙切れとしか思わないということを考えれば、わかるだろう。ということは、みんなが貨幣を貨幣だと考え、それを好きなときに好きなものと交換されることが保証されれば、何でも貨幣になる。太平洋のヤップ島で、大きな石の輪が貨幣になっていたことは有名である。 こう考えてくると、「価値の保蔵」という役割がわかるだろう。漁師のおやじは、イワシが大漁のときにイワシを売って貨幣を手に入れ、それをすべて使わずに、時化で漁にでることができないときには、とっておいた貨幣で米を買えば、餓死することはない。それが、貨幣の第三の役割である。
2 金融とは何か
ある農家の三男として産まれた男は、小さいころから冒険が大好きで、「いつか大きなことをしてやる」が口癖だった。 18歳の誕生日を迎えたまさにその日、男は両親にこう言った。 「私は、これから旅に出ます。なんでも、西の方には、大変豊かな大地が、まだ手付かずのまま残っていると聞いております。私は、その土地に行って、大きな畑を作ります。それが私の夢なのです。」 父親は、黙って男の話を聞き、そして、大きくうなずいた。それは、許しの合図だった。母親のほうは、やや心配そうな面持ちだったが、それでも、自分の息子を信じていた。
男は、何度も大きな山脈を越え、何本もの大きな河を渡り、ようやく西の土地に着いた。家を出発してから、すでに2年が経過していた。 「よし、ここで大きな畑を作り、周りに羨ましがられるぐらい大きな農家になってやる!」 男は決意した。 だが、ここで問題が起こった。畑を作るといっても、小麦の種がないのである。男は、西の土地の農家を回ったが、見ず知らずの男に小麦の種を分け与えてくれるものなどいなかった。最後に残ったのは、村の外れにある、ある老父が住んでいる農家だけになった。 「こんにちは、私は東の土地から来たものです。この土地で畑を作るためにやってきました。でも、畑に蒔く小麦の種がありません。どうか、種を分けてはいただけないでしょうか?」 老父は、ロッキングチェアに腰掛けたまま、こう言った。 「たしかに、ここには小麦がある。だが、これは、私が食べるために貯めておいたものだ。ご覧の通り、私はもう働くことはできない。だから、小麦を分けてあげることはできないよ。」 すると、男は、目を輝かせて、こう言った。 「それならば、1年後、私が小麦を収穫したら、あなたから分けてもらった倍の小麦をお返しします。そうすれば、あなたが食べるのに困ることはないでしょう?」 老父は、少し考えてから、ゆっくりうなずいた。 「わかった。それでは、そういう約束で、小麦の種を分けてあげよう。」 「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません。もちろん、約束は守ります。」 男は、それから一生懸命に畑を耕し、分けてもらった小麦の種を蒔き、丹精込めて小麦を育てた。そして1年後、蒔いた種の10倍もの小麦を収穫することができた。男は、感謝の意を込めて、分けてもらった種の3倍もの小麦を、老父に返した。 「あなたがいなかったら、私はこれほどの小麦を収穫することはできませんでした。本当に感謝しています。」 小麦を受け取った老父も、うれしそうだった。
それから40年、男は真面目に働いた。この西の土地で結婚し、5人の子どもと15人の孫にも恵まれた。畑の面積も、当初の10倍にもなった。だが、40年の疲れが男を襲ったのか、働くことがだんだんつらくなってきた。そこで、畑をすべて子どもたちに分け与え、自分は引退することにした。そのときには、あと30年は生きていけるだけの食料の蓄えを持っていた。 引退して1年、妻を亡くし、男は1人で住んでいた。もちろん、近くに子どもたちは住んでいて、孫もときどき遊びに来る。だが、今の季節はちょうど収穫の時期であり、子どもたちも孫も忙しかった。男は特にすることもなく、ロッキングチェアでウトウトしていた。すると、急に、バン!と扉が開く音が聞こえた。孫が久しぶりに遊びに来たのかと思い、目を開けてみると、そこには、この土地とは違う衣装を身にまとった若者が立っていた。顔つきも、このあたりの土地の人間とは違っている。だが、同時に、男は懐かしさも感じていた。 「こんにちは、私は東の土地から来たものです。この土地で畑を作るためにやってきました。でも、畑に蒔く小麦の種がありません。どうか、種を分けてはいただけないでしょうか?」 いきなり、若者が元気よく話したので、男は面食らってしまった。種を分けてくれ? 私の家にあるのは、私が食べるための小麦だ。ここまで、私がどれだけ努力してきたのか、この若者はわかっているのか。私が作ったもの、見ず知らずの若者に分けるなど、もってのほかだ。 「すまんが、それはできないな。どこか、他でもらったらよいだろう?」 男はそう言い放つと、ドアをバタンと閉じてしまった。 瞬間… 男は急にこの世から消えてしまった。そのとき、男の脳裏に浮かんだのは、40年前の自分の姿であった。
どうやら、農夫の男はタイムスリップし、40年前の若い自分に出会ったようである。だが、小麦を分け与えなかったため、若いころの自分は西の土地で生きていくことができなくなり、結果として、自分の存在そのものを消し去ってしまった。これは、物語の上での話であり、現実に起きるわけではない。ただ、この物語から、「金融の役割」を知ることができる。 農夫が若いときに出会った老父が持っていたものは、自分が食べていくための食料であった。これは、「貯蓄」である。先ほど書いたように、長寿である人間には、この貯蓄が不可欠であるが、金融の役割を知る上で、まず大事なことでもある。 さて、農夫は、その貯蓄を分けてもらうことを、老父にお願いした。いや、分けてもらう、という表現は正しくない。なぜなら、1年後、農夫は3倍もの小麦を返したからである。だから、より正しくは、借りたというべきであろう。その小麦の種を蒔き、1年後、多くの小麦を収穫することができた。この行為は、「投資」と呼ばれる。この投資がなければ、人間は生産をすることができない。その意味で、投資も人間の活動にとって不可欠なものである。そして、投資には、貯蓄が必ず必要になる。このことは、小麦を生産し、次の年のためにその小麦の一部をとっておくという行動からわかる。そして、投資に使われた貯蓄に対する報酬、物語の中では返した小麦のうちの2倍分が「利子」である。 自分の貯蓄を投資に使うならば、話はそれで終わりである。だが、物語のように、他人の貯蓄を投資に使う場合がある。それが「金融」である。特に、現代社会のことを考えると、この言葉がよく理解できるだろう。そのためには、前の物語の漁師のおやじに再び登場してもらうことにする。 イワシが大漁だった漁師のおやじは、そのイワシを市場で売り、大金を得た。それは、時価になったとき、米を買うための金額をはるかに超えていた。そこで、一部のお金を残して、銀行に預けることにした。銀行は、そのお金を、靴屋を開きたいと思っている男に貸すことにした。このとき、銀行の役割は、貯蓄を投資に向けたことである。別の表現を使うなら、お金が余っている人(=漁師のおやじ)からお金を必要としている人(=靴屋の主人)に、お金を融通した。まさに、「金融」なのだ。このような仕事をしているからこそ、銀行は「金融機関」と呼ばれている。 この例のように貨幣を使うことには、大きなメリットがある。先ほどの物語の場合、農夫の男は、小麦の種を借りてきた。それは、小麦を作るためであって、キャベツを作るためではない。しかし、漁師のおやじのイワシは、靴に変わってしまう。つまり、貨幣を使うことによって、いろいろなものへの投資が可能となるのである。
Ⅲ 金融教育の必要性
1 産業革命と「フォード・システム」
18世紀後半のイギリス。蒸気機関による紡織機がもうもうと煙を上げ、一気に大量の綿織物を生産していく。そう、時代は産業革命の真っ只中である。この時期のイギリスでは、次々に新しい技術が開発され、多くの大規模工場が相次いで建設されていた。工場の建設は、当然のことながら、多くの労働者を必要とする。その供給源となったのが、農村にあふれていた農民であった。 この産業革命は、イギリスに何をもたらしたのだろうか。ここで特に注目したいのは、働いて賃金を得るという労働者が一気に増加したことである。それまで、農村の共同体の中で、地代を支払った残りで細々と生活していた農民が、工場で働き、賃金を得るようになった。そして、得た賃金で、生活必需品を購入する。このことは、社会的な分業が一気に拡大していくことを示している。先ほど書いたように、分業には貨幣が必要である。ということは、この時期になって、貨幣経済がイギリス全体に広がっていったということである。ここに、資本主義が誕生した。3 この産業革命の波は、その後、フランス・ドイツ・アメリカ・日本などに波及していくことになる。つまり、世界が資本主義化し、貨幣が世界中に浸透していったのだ。 20世紀初頭のアメリカ。ヘンリー・フォードは、「モデルT」と呼ばれる新型モデルの自動車を開発した。このモデルTの画期的な点は3つ。まず、工場内で流れ作業を確立したこと。次に、その流れ作業による工場内の分業によって、大幅なコストダウンを実現し、低価格で自動車を販売したこと。最後に、流れ作業による労働者のストレスに対して、大幅な賃上げで応えたこと。 この3つのことは、何をもたらしたのだろうか。それは、流れ作業によって、より大量の製品をより安く生産・販売し、そして、より重要なのは、その製品を労働者自身が購入するようになったことである。「大量生産・大量消費」という図式がこのときに確立したのだ。第2次世界大戦後、ヨーロッパや日本にも、この「大量生産・大量消費」が広がっていく。それにより、労働者の賃金は以前よりはるかに上昇することとなった。 このことは、それぞれの労働者が自由に使える所得が増えたことを意味する。しかも、先に書いたように、戦後、人間の寿命はどんどん延びていく。それによって、労働者は、老後に備えて、より多くの貯蓄をするようになってきたのだ。
2 戦後の日本経済における生活モデルの確立と崩壊
第二次世界大戦後の日本。戦後の焼け野原から、日本人はがむしゃらに働いてきた。戦争の傷跡を埋めるように… アメリカに追いつくように… 日本中が豊かになるように… まさに「プロジェクトX」が日本中で行われていたのである。その過程で、国民の生活モデルが確立していく。まずは、大学への進学。少しでもいい大学に行くことが、まず目標となる。そして、それが、大企業への就職につながっていく。当時の日本企業は、「日本的経営」と呼ばれる年功序列型賃金と終身雇用を特徴としていた。つまり、そうして就職した大企業に、定年まで働くことになるのだ。 働いて得た賃金のうち、自分の老後のために、子どものために、かなりの部分を貯蓄する。このとき、労働者の貯蓄の大部分が銀行へと向かった。当時、「護送船団方式」と呼ばれる日本の金融行政によって、日本国内の銀行は、どこでも利子はほぼ同じであり、しかも、倒産することはなかった。国民は、安心して銀行への預金ができたのだ。 それにまた、政府が「国民皆年金」という目標を達成することができた。このことは、国民にとって、老後の生活の心配をそれほどしなくてもいいことを意味した。 このような生活モデルを目標とし、それに従ってきた日本の国民は、「奇跡」と呼ばれるほどの経済成長を達成し、結果、戦後と比較しても、世界と比べても、かなり豊かになった。 1991年の日本。株価や地価が一気に下落した。銀行は「不良債権問題」に悩み、企業は売り上げが大幅にダウンする。バブルの崩壊である。このあと、現在まで20年、いまだにバブルの後遺症が残っているのか、日本経済が不況に苦しんでいる。当然ながら、この不況は、国民の生活にも大きな影響を与えている。特に重要なのは、先ほどの生活モデルが崩壊したことである。 企業は、少しでも売り上げを上げるために、製品の価格を引き下げる。そのために大幅にカットされたのが、人件費である。それには、1980年代後半からのアジアの成長によって、日本企業は、賃金の安い中国などに対抗する必要もあった。その結果、正規雇用の労働者がどんどん減らされ、代わりに、より賃金の安い非正規雇用の労働者を増やしていった。 また、バブルの崩壊は、ついに金融機関の破綻を招く結果となった。政府による金融行政の変更、ペイオフの実施などにより、貯蓄を銀行に預けることが必ずしも安全というわけにはいかなくなった。 一方、政府が大丈夫といい続けてきた年金は、ここにきて、完全にほころびを見せている。その結果、「年金の未納問題」がクローズアップされるようになっている。 ここに、それまで目標としてきた生活モデルは、完全に崩壊したのだ。
3 金融教育の必要性
ここまで来ると、金融教育が、現代的な教育課題であることがわかるだろう。人間は、分業と長寿を特徴とする動物であるから、貨幣と貯蓄が必要である。貨幣と貯蓄が、世界中で急速に拡大したのが18世紀後半以降、特に第二次世界大戦後である。ただ、日本の場合には、目標とする生活モデルがあったため、それほど深く考える必要はなかった。だが、その生活モデルが崩壊した現代、学校現場における金融教育の必要性は、ますます大きくなっている。 金融教育に対しては、批判もある。その内容は、「小学生に株の買い方を教えるのか」といったものが多い。もちろん、株は決して安全なものではない。しかし、だからといって、株についてまったく教えないというのは、間違っていると考える。包丁は、人を刺すことはできるが、料理に不可欠なもの、だからこそ、きちんと学校現場で使い方を教えているのであるから。
Ⅰ 身に付けるべきマネーモラル
私たちを取り巻く金融環境は日々変化している。一例をあげると、何かを購入する際の支払い方法は、以前は銀行振り込みや店頭での支払いが一般的であった。しかし近年では、それに加え、パソコンや携帯電話の画面から直接クレジットカード支払いの手続きを行うこともできる。このように、ますます多様化・複雑化していく金融社会を生きていく上で、「お金」に関する基本的な知識やモラルを身に付けておくことが求められる。 以下に、現代金融社会における問題をいくつか挙げた。現状を分析することで、これらの問題にいかに対処するかということを考えていきたい。
資料:日本弁護士連合会消費者問題対策委員会「2008年破産事件記録調査」
参考資料:社団法人全国消費生活相談員協会監修「消費者金融Q&A BOOK」
モラルハザードの具体例 金融におけるモラルハザードの例としては、以下のようなものが挙げられる。
Ⅱ 銀行の業務と社会的役割
現代社会において、「お金に関する基礎知識、モラル」を早くから身に付けておく必要があることは前章で述べた。この「お金に関する基礎知識」の一つとして、生活の中で身近な存在である金融機関(ここではその中の「銀行」)がどのような業務を行っているのか、また私たちや私たちを取り巻く社会にどのような役割を果たしているのか説明する。
参考資料:全国銀行協会「銀行って、なに?」